現代の扁鵲を輩出する鍼灸学生の方へ鍼灸師の方へ
継続か変革か・・・、鍼灸はなぜ治らなかったか? 社会は現代の扁鵲を待望する
治せない鍼灸と決別し、治る鍼灸の樹立を!今日の鍼灸危機の象徴が美容鍼である。
研究発表に美容鍼が掲載される今日の鍼灸学会誌。鍼灸は医療としての矜持を忘れてはならない。多くの脳動脈と脳静脈、脳神経が分布する顔面組織が健康になるのなら、同時に全身の血液循環系、自律神経系が改善し、内臓系運動器系が改善され、多疾患、難病が治るものである。いかに細鍼であろうと多数穴刺鍼により顔面頭部皮膚、筋、脳内組織の弛緩と血行障害を起こす。美容鍼の鍼灸師、鍼灸学校での流行は、鍼灸の効果があるかないかを議論する現代鍼灸水準をものがたり、治すことを嫌う鍼灸衰退化の象徴でもある。「鍼灸ジャーナル」誌の休刊に続き近年、1938 年創刊の「医道の日本」誌まで休刊になり、鍼灸専門誌すべて休刊となった。鍼灸学生、鍼灸学校の関心が美容鍼に傾斜する鍼灸界は衰退の道を歩んでいる。鍼灸学生の激増を東洋医学の社会的鍼灸の評価、医学的評価の結果と勘違いする鍼灸界。その起爆となった米中国交時の鍼麻酔宣伝も現在の中医葯大学ではとうに消滅した。
“古典鍼灸理論を排す”はなぜか?
昭和 20 年代半ば、医道の日本誌上で国内鍼灸界を 2 分する経絡肯定派と否定派の経絡論争があり、経絡派が論争ら避けるように終焉したが、そのつけが今日までの鍼灸停滞の尾を引いている。治療効果に科学派との治療効果の差別化ができず、馴れ合い理論が浸透する。複雑化し、矛盾をはらんだ膨大な古典理論の根底に基本である生体の正常・異常診断法なき理論がある。真に高度な理論はシンプルでなくてはならない。
中国では長久の歴史のある輝かしい中医学が世界で求められていると喧伝し、国内でも鍼灸が世界的に求められていると鍼灸界のみの自画自賛する。
今日の鍼灸学生と鍼灸師の本心は医療から安易な癒し、民間療法化に向かう。薬物の対症療法に徹し、治すことより新規病名を乱発する西洋医学に対して、薬物不使用の鍼灸が万病、難病を治せなくてなんの意味があるのか。
新鍼灸法では 1 本の浅刺の反応は 2 ~ 3 秒で全身組織に波及し、1 本の足指への浅刺が脳にも、すべての内臓、眼球、下垂体にも及ぶ。治す鍼は刺鍼前に効果を知るものであり、それを診断という。刺鍼から瞬時に発生する全身組織が改善する状況を望診するものである。国内鍼灸は長時間の置鍼により知覚鈍麻で治癒を遅らせ、中国・中医学も知覚鈍麻作用のパルスと、腰痛に刺鍼と神経ブロックを併用する西洋医学を混成させた中西結合医学が主流となっている。かつて鍼麻酔を目玉にした鍼灸学校の中医学夏期研修は何だったのか?結果のでない中医葯大学への一般者の網膜色素変性症治療長期ツアーがかつて行われていたことも記憶に新しい。
鍼灸学会の鍼灸国際標準化へ鍼灸臨床家より
鍼灸学術研究家は鍼灸効果を科学化に邁進し、WHO に有効性の認知を求める。しかし、一般社会は返って効果の有無も不明瞭な鍼灸を知り改めて愕然とするだろう。鍼灸の科学化活動が鍼灸効果の曖昧さを浮き上がらせている。鍼灸臨床家は難病からあらゆる疾患を治さなければならないのである。鍼灸国際標準化の重点として、経穴数の国際標準会議が 揺れているが、経穴に限定したら一層鍼灸効果を証明できないだろう。
鍼灸家の臨床感性と診断能力
長年の手技治療、鍼灸指導において痛感するのは鍼灸家、鍼灸学生に共通する極度な手指的感性の低さである。これは身体的感性、手指感性の指導なき典籍理論中心主義の弊害である。鍼灸は画像診断、血液検査もなく、直接手指の感性で組織と機能を知るものである。自身の卓越した手指感性の研鑽からは、その診断能力は無限となる。診断時の術者自身の身心感性度が即、患者診断への計器となり、診断の精度差となる。四診理論を重要視しながらも、理論のみでその診断能力指導法が存在しない。身体上における経絡が見えない指導者により理論的脈診法、理論的触診法のみが指導され、手指感性に無関心な学習者はそれに疑問も抱かない。
古典鍼灸理論派の指導者であった井上雅文氏は、古典理論を指導しながらも「鍼灸の将来は極めて悲観的であり、殆ど存在はあり得ないと思っている」と自著で語っていた。昭和、平成と経過してきた過去に、果たして鍼灸効果の進歩、向上があっただろうか。目覚めよ日本鍼灸師!